京都府立医科大学神経内科は、神経内科、老年内科、脳卒中診療科領域の疾患の診療・教育・研究に全力で取り組んでいます。

神経内科教室について

業績一覧へ

神経疾患の治療で日本の将来は救えるか?
年報 2016年度 巻頭言
京都府立医科大学 神経内科学教室 教授 水野 敏樹

大げさなタイトルだが、いくつかの条件はつくものの答えはyesである。
少子高齢化が叫ばれながら、子育ての環境が整わず、高齢者だけが増加していき、人口の本格的減少が始まりながら、十分な対策が取れていない日本は沈みゆく泥舟だろうか? GDPも減少に転じ、国内消費の人口も減少するなど、将来の日本を悲観的に見るデータには事欠かない状況が続いている。しかしこれは日本に限ったことではない。海外に出て他国の神経関連の研究者、医師と話をしてみれば、どの国も似たり寄ったりである。たしかに日本の高齢化率の速さは群を抜いているが、認知症高齢者の実数だけをみれば、すでに中国は日本を上回っており、その対策は急務となっている。

この10数年間で心疾患と癌による患者の死亡率は確実に減少しており、この二つの疾患は克服されたわけではないが制御ができるところまでは達してきている。それと比較すると、高齢化と共に増加する認知症、脳卒中、神経変性疾患は確実に有病者数が増加してきている。これらの疾患は確実に高齢者の自立を阻害するため、せっかく癌や心臓病を制御できるようになっても、さらに高い山がそびえているかの印象である。すなわち神経疾患を制御ができない限り日本の将来はあり得ない。時限装置が発火する2025年まで10年を切って、あと9年となった。この9年間で私達に何ができるだろうか?

神経疾患に対する先制治療が叫ばれるように根治的な治療が必要と思われるが、心臓病でも、癌でも完全に克服する必要はない。神経疾患の発症を10年遅らすことができれば、すなわち70歳から80歳で発症する可能性がある神経疾患を80-90歳まで発症を遅らせることができれば、神経疾患は十分制御できていると言えるだろう。しかし10年遅らせることは容易ではない。この期間延長のためには新たな薬剤または機器による介入がどうしても必要である。従来の新薬開発まで20年以上要しているPMDAの認可スピードではとても追いつかないし、従来新薬開発までの死の谷と呼ばれる、越えられないようなシステムの変更、そして神経疾患克服のための新たな薬剤の効果判定方法の確立が必要であろう。一方2〜3年の延長というのはどうだろうか? これはどこで疾患発症に気づくかである。認知症発症前の物忘れ、パーキンソン病発症前のむずむず足、運動ニューロン病発症前のピクつきなど神経内科を受診すべき患者への啓蒙と我々神経内科医の的確な診断が必要である。そして現在効果が弱いとみなされる薬剤の再評価である。例えばALSで症状進行に対してリルテックは約12週間の延長効果があるとされている。これでは効果が弱いと思われがちだが、これに加えて昨年ラジカットもALSに対する効果が承認されてきた。これらの薬剤の効果を進行期の神経疾患に用いてもその効果が限られていることは日常臨床でも感じられる。しかしこれらの薬剤の効果は弱いと切り捨てて良いだろうか? アルツハイマー病に対する根本療法と思われたアミロイドβ生成を抑制する薬剤も第三相で苦戦が続いている。その反省から現在治験の対象群は発症初期へシフトしているが、初期になればなるほど疾患の進行速度は緩やかなため、疾患進行抑制効果を証明することは難しいジレンマにさらされる。脳卒中の一次予防もしかりである。抗血小板剤に新規の抗凝固薬も加わり、脳卒中の二次予防は進歩しており、脳卒中再発率は低下してきている。しかし二次予防では確実な予防効果があるアスピリンも一次予防となると副作用なく脳卒中を予防することは難しい。すなわち薬剤の効果判定のためには神経変性も脳卒中も完璧にこれらの疾患の進行を止めることができるか、余程の長期間を観察することが必要となる。Aβ阻害薬をみても完璧に疾患の進行を止めることは他の副作用を生じる危険性をぬぐえい。私達が考えねばならないことは、限られた時間の中で100%のい治療効果を目指す必要があるかである。現在問題なのは心疾患や癌の制御で延長されてきた身体疾患の加齢現象に対して脳を護ることが追いついていない点である。克服するところまで行かなく良いのである。全身の身体の加齢は確実に進行する。その進行速度より神経変性疾患の進行速度が早いことが問題であり、全身の加齢現象の速度に合わせるところまで持っていければ、良いのではないだろうか? 正確な試算をした訳ではなく、あくまで日常臨床からの感覚だが、脳の加齢を抑制すべき期間は約10年程度ではないだろうか?

では約10年間どうやって脳を護れば良いのだろうか? まず第一には早期に診断し、早期に介入することである。年をとれば物忘れは当たり前で済ませずに早くから脳を護る意識を持って国民全体が共有することが必要であろう。

次に参考になるのがHIV治療薬として成功し、最近CMTでも試されているカクテル療法である。それぞれの薬剤に大きな抑制効果がなくとも、年間で1%の疾患予防効果がある数種類の薬剤をカクテル化することで2〜3%まで持ち上げられればいいのである。できればそれが既存薬剤で既に安全性評価が済んでいるような薬剤ならそれに越したことはない。すなわち現在は動物実験では効果がありながら、実臨床では効果が弱いとされる薬剤も組み合わせれば最大の効果が得られる可能性がありうる。これらの組み合わせで、すなわち私達の既に持っている方法を上手く組み合わせるだけでも少なくとも数年、上手く行けば5年程度までの脳保護が得られないかと秘かに期待している。

年末忙しい時にスリランカで行なわれたinternational brain research organization Asia Oceania regional centor 主催のworkshopへ呼ばれて参加してきた。スリランカ、インドだけでなく、アメリカ、オランダ、中国、オーストラリア、タイ、マレーシア、シンガポール、イランなど広い地域からneuroscientist、それを目指す多くの学生が集まっており大変活気があった。その中で感じたことはアジアを含めてどの国も脳を護ることが必須の課題であり、日本がどの様に取り組んでいるかが大変注目されていた。日本の高齢化社会における脳を護る取り組みが成功すれば、世界に先駆けたモデルとなり、世界を護ることにまで繋がる可能性がある。そして私達は脳を護れなければ日本自体が泥舟の様に沈んでしまう瀬戸際にいることを肝に銘じなければならない。

ページの先頭へ